2006年02月15日
ギリシャ前夜
狂気のさたともいえるスタジオ強行スケジュールの成果あって、なんとかギリシャの用意もほぼ終了。しかも合間に自分いいだしっぺのラウンジ・パーティー、WOMB vol.3までこなし、(今回のゲストDJはヒカリのデイヴィッドでした。おつかれ&ありがと!)気がつけば、なーんと明日出発じゃん!!!よかった〜〜!!ゼンレモのライブの最終仕込みはなんとか機内とホテルで終わらせるつもり。。。怖いなー。。。(結構心配性)
 
 あたしの両親も無事3日前にバリに到着。なんで?それはですね、今回レモン組がギリシャに行っている間、な〜んと彼らが我が家に住み込んでベビーシッターをすることになっているから!バリも今回で5回目とあって、コジパパ達も余裕の面持ち。。。なんだけど、なにせ肝心のあたしがいない、とゆーシチュエーションは当然はじめてなのでちょっと心配。。。ケテュットちゃんも休み返上でずっと泊まり込んでくれるので、まー大丈夫に決まってる。。。と思う事にする!!!
 でもケテュットちゃんはマミちゃん(パパの後妻。あたしとはとても仲良し)と日本食を料理する!!!とはりきっている。きっと今回も”主のいぬ間に宴”ということになるのであろう。。。。
 今日は一日じゅう、父ちゃんの使いやすいネット環境&ミニ・オフィスを整えたり(バリでも仕事するらしい)、熱を出したエマがデング熱にかかってないか検査に連れていったり(大丈夫でした。ホッ!!)なんだの大忙し。
 
 グラミーから帰って来たアダポンも昨夜からレモンスタジオに復帰(1曲唄わされた!!!)。我が家に来るようになってから、”朝は薄く入れた緑茶”党になってしまったアダポン。明日からは、熱帯の朝日&鳥のさえずる庭を眺めながら、リヴィングで衛星のNHKを見ながらウチの父親と”朝の一杯”をすするのであろうか。。。う〜〜んシュール!

 同時に、今日の心は激しいアップダウン・ジェットコースター。もともとむら気だし、日本にいたころは鬱が宿病だったし、こんなの馴れてるんだけど、ちょっと手強かった。詳しい経緯ははぶくけど、音楽やめたほうがいいかも。。なーんて考えが頭をよぎったりさ(って絶対やめないんだよね。これが)。くっすんモードだったの。一日中さ。
 それを一日の終わりに逆転してくれたのは、義弟アンドリューからのメール。トランス系ネットレヴュー・サイトでギャロのアルバムとゼン・レモが参加した新しいインターチルのコンピ両方のレヴューがかなり高得点で載ってたよ!って教えてくれたの。早速見て、ギャロのアルバムのレヴュー読んでる途中で不覚にも涙が出て来てしまった。とても丁寧に聞いて書いてあることや、書き手のギャロへのリスペクトが伝わって来て、とても嬉しかったんだよね。これが出来上がるまでの紆余曲折や、苦労や、彼の気持ちの浮き沈み、ぜ〜んぶソバで見ていたからさ。”よかったね!!!!”っていう気持ちが溢れて、泣いちゃったの。ホント単純でしょ。天才肌っつーか、不器用っつーか、つぶしがきかない職人に惚れたからには、まー、とことんつきあってナンボだから、過去のようなジプシー生活も別にいいんだけど、たまにこういうヒカリがキラッとさすと、この先の果てしない草原も元気に遊牧テントはりながらやっていける気がする。興味あったら読んでみてね。
http://www.psyreviews.com/reviews/feb142006.html

 あと、最近、たまには昔のように気ままに旅に出たいなっ!って渇望している自分と、ママになってその責任を楽しみながら(トライしながら?)やってる自分との間のパラドックスな葛藤の久々復活があったのね。凄く(定期的にそれはやってくるんだけどさ)。でも今日思ったのは、
 やっぱり人間にはひとりひとり役割があって、それは大きな幾何学模様、フラクタルを形成するパーツなんだな、その役割を認識して魂を全力投入していれば、結局はたとえどんな結果になろうと、万事オーケーなんじゃないかな、ってこと。
 一人きままな旅を続ける事で、人間の本来もつ”個の魂の強さ””自由に生きることの素晴らしさと代償””直感にしたがって生きる才能”なんかに磨きをかけていく人がいて、またその姿を見ることで励まされたり、自分のなかに眠る力を感じインスパイアされる人がいる。
 また、一カ所にとどまりながら、たゆまず何かを創り出して行く事に集中している人がいたら、その創造物そのものから、またその生き方や姿勢からきっと何かを感じてくれる人もいる。。。

 なぜ人間は全く違う生き方をしている他人に共振するのか?
 それは、その他人も自分も、ひとつの巨大な存在のかけらだから。
 体現しているパーツが違うだけで、その他人の体現しているモノも自分の一部だから。それを水に波紋がひろがるように魂が察するから。
 だから、うらやましがることなんてないんだ。
 彼や彼女があたしの替わりにつきつめてくれているから。
 だから、彼や彼女のできないぶぶんはあたしが突きつめるよ。
 
 って感じでしょうか?
 
 役割がちがうだけで、実はすべての人が、とて〜も大きな”人間つー存在”の小さな細胞、パーツなんじゃないかなって。すべての人間、たとえ邪悪な役割をになった人間でさえも、悲劇的(に見える)な道を全力で走り抜けた人間でさえも、その巨人のかけらを体現している。。。かけらの全部をひとりで担うなんて到底無理。だから、あたし達はあたし達で、今のありかたのまんま、これでいいんじゃないか、って思ったの。
 
 難しかった?あたし別にキノコ食ってないよ!〜〜〜〜!!

 じゃ、これについては、あしたゆっくりタイ航空の機内で冷えた白ワインすすりながら考察することにするとして。。。

 いってきま〜〜〜〜〜〜す。