2006年04月22日
22:55
フラクタル的日常3−Let's Odaran

  

バリの新年”ニョピ”前にオベロイで行われたオダラン(バリ・ヒンデユーのセレモニー)にまたもや写真とりにいってきました。最近、大きなキャンバスにバリをテーマにしたコラージュをつくるのを始めて、それの素材撮り。
それにしても。。。。。

”ジャンジャンジャンジャン!!!ジャーン、ジャンジャン!!!”
あとからあとから、きれめなくドラを打ち鳴らす音が訪れては去って行く。
女たちの低く唄う声が地のそこから沸き上がってくるように満ちている。
ガムランの楽隊が気怠げに、それでもちゃんとシンクロしあった演奏をしながら行列のまえとあとにいくつも続く。カラフルに正装した人、人、人。。。。
オベロイの、ここらでは一番黒魔術の力の強い寺院だという場所の真ん前に呆然とたたずんで、やっぱり今回もあたしは我を忘れてこの細胞たちを眺めている。
収集のつかないカオスでありながら、不思議とどこかに秩序がある。
ここら一帯じゅうから集まってくるバンジャールごとの列は途切れることなく続く。
それを見ながらあたしは妙に安心する。
ジャカルタのモスリム政府内の強硬派がどんなに画作しようが、バカばかしい法律をつくって将来バリのひとたちに改宗をせまるようなシナリオになろうが、それでバリの独立気運が高まって流血の事態になろうが、そしてその結果、東ティモールの2の舞いになって30万人が”民族浄化”の犠牲になろうが(これはあくまでフィクションです)、この島の文化と慣習と神々は絶対に死なない。
これを見れば、どんなバカな宗教テロリストだって気付くはずだ。
ここの人たちと宗教は、あまりに強く、深く結びついている。
その絆はおだやかで、強く、ユーモアに満ちていて、楽しい。
 たぶん今から数百年がたって世界の石油が枯渇してもう誰もこの島を訪れることがなくなったときに、それがどんなに強いものであったかを歴史が目撃するだろう。
インドネシアという国家がいつか解体しても、世界の秩序がとち狂っても、これほどの土着の文化というものは絶対に残って、さらに繁殖するに違いないからだ。
 それを、この目で見れないのが残念だ。

 朝7時半から行って、結局4時間もうろうろしてた。
 しまいには、氾濫する色彩と、取り巻いてうずまく音と熱にもっていかれて、完全にトランスに入ってしまった。ホフマンいってなくってよかった。。。帰ってこれないところでしたよホント。
 
 写真左/ 海へ向かう行列。このまま螺旋状になって空へ皆が歩いていってしまいそうに見えない?
 中&右 /同じくオダランにて