著者詳細 | |
鹿野忠雄(かのただお) 1906年、東京生まれ。小学生の頃から昆虫採集を始める。開成中学入学後は、北海道、樺太までフィールドを広げ、その成果を雑誌に発表する。台湾の昆虫標本に魅せられ、日本統治時代の台湾の台北高等学校に入学。ほとんど学校に行かず、新高山をはじめとする、高山地帯の昆虫、小動物などの採集に没頭し、次々と新種を発見する。この頃から当時蕃人と呼ばれていた、台湾先住民と行動をともにすることが多くなった。また、地理学、民族学にも興味を持ち始める。1930年、東京帝国大学地理学科に入学後、再び台湾に渡り、南玉山に初登頂するなど精力的、超人的な登山活動をするなかで、博物学的な標本採集を行い、また氷河地形を発見する。同大学院に進学後も、多分野にわたる研究論文を発表、理学博士となる。太平洋戦争勃発後、陸軍の嘱託として、1942年、マニラへ。その後、一時帰国し、再び1944年、民俗学の調査で北ボルネオ(サバ)に赴任する。1945年、終戦前後に消息を絶つ。戦後、生存説もあったが、その真相は、未だ闇の中である。著書に『台湾原住民図譜』『東南亜細亜民族学先史学研究』ほかがあり、その先駆的、学際的な業績は高く評価されている。 楊南郡(ようなんぐん) |
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