書籍詳細

山と雲と蕃人と
amazonで購入する
amazon.co.jp
書名

山と雲と蕃人と

著者
鹿野忠雄=著
定価
3,500円+税
判型・造本
A5判、口絵32+408頁
ISBN
978-4-89257-037-7

「伝説のナチュラリスト、鹿野忠雄の幻の名著に新たに台湾作家・楊南郡氏によるエッセイ、解説、注、年譜、地図ほか索引、カラー写真等を多数収録した再編集復刻版。

立ち読みはこちらです。

著者詳細

鹿野忠雄(かのただお)
1906年、東京生まれ。小学生の頃から昆虫採集を始める。開成中学入学後は、北海道、樺太までフィールドを広げ、その成果を雑誌に発表する。台湾の昆虫標本に魅せられ、日本統治時代の台湾の台北高等学校に入学。ほとんど学校に行かず、新高山をはじめとする、高山地帯の昆虫、小動物などの採集に没頭し、次々と新種を発見する。この頃から当時蕃人と呼ばれていた、台湾先住民と行動をともにすることが多くなった。また、地理学、民族学にも興味を持ち始める。1930年、東京帝国大学地理学科に入学後、再び台湾に渡り、南玉山に初登頂するなど精力的、超人的な登山活動をするなかで、博物学的な標本採集を行い、また氷河地形を発見する。同大学院に進学後も、多分野にわたる研究論文を発表、理学博士となる。太平洋戦争勃発後、陸軍の嘱託として、1942年、マニラへ。その後、一時帰国し、再び1944年、民俗学の調査で北ボルネオ(サバ)に赴任する。1945年、終戦前後に消息を絶つ。戦後、生存説もあったが、その真相は、未だ闇の中である。著書に『台湾原住民図譜』『東南亜細亜民族学先史学研究』ほかがあり、その先駆的、学際的な業績は高く評価されている。

楊南郡(ようなんぐん)
1931年、台湾生まれ。戦争中、少年工として神奈川県の海空軍C廠に派遣される。戦後、台湾大学で西洋文学を専攻。この間、登山家、山地研究家として活躍。日本時代の山地学術研究の検証、理蕃道路の踏査などを独力で行い、報告書など多数出版。92年「スカロ族の故事」で中国時報ノンフィクション文学賞を受賞、引き続きノンフィクション作品『台湾百年前の足跡』で九七年度の文学賞を獲得、99年に第一回台湾卓越文献工作者賞を受賞した。九三年夏から、多数の紀行文をおさめた『與子偕行』や『月の足跡を尋ねて』等を出版。訳注本『探検台湾――鳥居龍蔵の台湾人類学の旅』、伊能嘉距の『台湾踏査日記』、『台湾平埔族調査旅行』、『生蕃行脚――森丑之助の台湾探検』等を出版。2000年2月に、本書『山と雲と蕃人と』を詳細な訳註を収録し翻訳出版した。

●本書の底本には昭和16年(1941)、中央公論社発行の『山と雲と蕃人と』初版本を用いました。

山と雲と蕃人と 目次

一 新高南山と南玉山の登攀
〇四三
    一 五年振りの新高へ
〇四三
    二 待機
〇四七
    三 新高主山を経て南山へ
〇五〇
    四 新高南山頂に立つ
〇五七
    五 南玉山の初登攀
〇六〇
    六 帰路
〇六七
二 新高東山の登攀
〇七二
三 秀姑巒山脈の縦走
〇九三
    一 まえがき
〇九三
    二 新高へ
〇九五
    三 無双出発まで
一〇〇
    四 ササルベの尾根
一〇六
    五 ウマボンゴ
一〇八
    六 オブナビオンの小屋
一一一
    七 ウラモン山登頂
一一五
    八 マホラス山登頂
一二一
    九 大水窟山を経て南駐在所へ
一二七
四 尖山単独行
一三六
五 東郡大山塊の縦走
一五五
    一 まえがき
一五五
    二 郡大社出発
一六〇
    三 ウシゴンの小屋
一六五
    四 東郡大山の登頂
一六八
    五 ウタベと東巒大山の登頂
一七三
    六 リリヤハ山
一七八
    七 シナヤンの野営地へ
一八五
    八 ワハシパン山
一八九
    九 マショゾカン山の登攀
一九六
    一〇 マシタルンへ下る
二〇二
    一一 付近蕃人との関係
二〇七
    一二 山名
二〇九
    一三 登路
二一一
六 マリガナン山より再びマボラス山へ
二一二
    一 まえがき
二一二
    二 二度目の秀姑巒山脈へ
二一六
    三 マスブルの小屋
二一九
    四 マボラス山の北尾根
二二二
    五 オシトマバン
二二八
    六 マリガナン山登頂
二三七
    七 ウリパンホルの小屋
二四四
    八 再びマボラス山頂へ
二四九
    九 ババハの小屋
二五八
    一〇 帰途
二六〇
    一一 付近蕃人との関係
二六二
    一二 山名
二六四
    一三 登路
二六六
七 卓社大山登行
二六七
    一 まえがき
二六七
    二 阿里山より埔里へ
二六九
    三 埔里
二七八
    四 埔里より卓社まで
二八二
    五 露営地まで
二九二
    六 登頂
二九八
    七 山名および付近蕃人との関係
三〇四
    八 付記
三〇六
八 新高雑記(新高地方の山と人)
三〇九
台湾山岳・歴史写真帖/
三二七
鹿野忠雄・登攀コース図/楊 南 郡
三五三
注/楊 南 郡
三五九
鹿野忠雄・年譜/楊 南 郡
三七九
台湾山岳文学の金字塔(台湾版訳者序)/楊 南 郡
三八九
鹿野忠雄とトタイ・ブテン 早期台湾研究が結んだ友情
/楊南郡
四〇三
 
台湾研究と楊南郡/柳本 通彦
四二七
動植物名索引
四三一
鹿野の思い出を胸に/鹿野静子
四三五
付録 新高山附近山系概念図
 
カバー、見返し、扉の絵は著者。なお目次の下図はブヌン族の暦
 

書評一覧

日本経済新聞
◆日本経済新聞2005年10月9日(日)朝刊

日本経済新聞2005年10月9日(日)朝刊書評欄コラム「半歩遅れの読書術」で、津島佑子さんによる鹿野忠雄著『山と雲と蕃人と』にまつわる書評が掲載されました。

鹿野忠雄の台湾紀行  山を歩き、分野超えた研究
 私は本格的な山登りなどしたいと思ったことがなく、そもそも岩陰に小さなトカゲ一匹見かけても、一目散に逃げだしてしまうのだが、だからこそなのだろう、本で読むぶんには、自分では近づけない高山の醍醐味をできるだけ味わいたくなる。
そして、自然界をよく知る人にも大いにあこがれを感じてしまう。
 鹿野忠雄という人物もそのひとり。
十年以上も前に、山崎柄根氏の書いた伝記『鹿野忠雄 台湾に魅せられたナチュラリスト』(平凡社)を読んで、いっぺんにこの鹿野忠雄という人物の熱烈なファンになってしまった。
 (……)この高校時代は当時、新高山と呼ばれていた四千メートルに近い玉山をはじめとする山登りに明け暮れ、やがて、生物一般、地理学、考古学、そして台湾には古い文化を残す先住民族がいて、登山の案内を頼んでいたことから、かれらと親しくなり、民俗学にも興味を持つようになる。
 ひとつの分野には縛られない鹿野の独自な研究は世界で注目されはじめる。
ところが、戦争末期に北ボルネオに軍の指令で派遣され、消息不明となる。軍の召集命令を無視したため、日本の憲兵に殺されたのではないかと言われているが、わずか三十八歳の彼の死を惜しむ人はこの日本ばかりではなく、現在の台湾にも少なくない。(……)
 鹿野自身の魅力的な文章に加え、かれに対する多くの人々の愛情が国や文化の
ちがいを乗り越え、一読者である私の胸に迫ってくる。
そして、物言わぬ峻厳な台湾の山々が私の眼前に浮かび上がる。(抜粋)

読売新聞2月6日(日)朝刊
◆読売新聞2月6日(日)朝刊

読売新聞2月6日(日)朝刊の読書欄で、本よみうり堂の空想書店2月店主、奥本大三郎さんにより『山と雲と蕃人と』が「店主の一冊」に選ばれました。