書評情報 ─ 鈴木いづみ(2006〜2001)

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2006.8.13
「**美人百花**」**9月号「book」P192で『鈴木いづみプレミアム・コレクション』が紹介されました。

ニセモノを見極め続けた美しく過激なミューズ

市役所勤めのOLを経て、モデル、女優、作家になった鈴木いづみ。
天才アルトサックス奏者・阿部薫と結婚生活を送り、あらゆるメディアを席巻して、36歳という若さで自殺。
その過激ながら純粋な生きざまは、それ自体が伝説となった。小説やエッセイには“今を生ききる”女の想いと、物事の本質を見極める鋭さがにじみ出ていて、ヒリヒリと痛い。
本書では単行本未収録のSF作品を含め、小説・エッセイを多数収録。
ちなみに、カバーの写真はアラーキーこと荒木経惟撮影。


2006.6.19「読売ウィークリー」2006年6月4日号の「今月の8冊」で『鈴木いづみプレミアム・コレクション』が紹介されました。

1970年代を生きた気鋭のSF作家、鈴木いづみが衝撃の自殺を遂げて20年。
時間も空間もない世界を描いた小説「女と女の世の中」、“ほんとうの愛”をポップにつづったエッセー
「いつだってティータイム」など、鈴木いづみのすべてが浮かび上がる。


2006.6.19「GINZA」2006年7月号の「new books」で『鈴木いづみプレミアム・コレクション』が紹介されました。

モデル、女優を経て’75年にSF作家としてデビュー、’86年に36歳で自殺した伝説の人、鈴木いづみの短編集&エッセイ。
自由な発想と、今読んでも古さを感じさせない世界観。SFが苦手な人も無理なく読める。


河北新報朝刊2006年4月16日号、中國新聞朝刊2006年4月16日号、新潟日報朝刊2006年5月7日号、
信濃毎日新聞朝刊2006年5月7日号に『鈴木いづみプレミアム・コレクション』の書評が掲載されました。

■鈴木いづみ・プレミアム・コレクション

 モデル、俳優を経て作家になり映画、テレビなどでも活躍したが、三十六歳で自殺した異才の没後二十年の傑作集。
 短編「女と女の世の中」は、男が滅亡しかかった世界のお話だ。「さまざまな観念をもてあそび、それに熱中し」「革命だとか仕事だとか芸術だとか。そういう形のないものにムダなエネルギーをそそぎこむ」男たちは、「動物園みたい」な居住区に閉じ込められている。そんなある日「わたし」は、男の子が家の前を通るのを見かけたが…。
「あまいお話」「契約」など小説のほか、エッセーも収録。








 雑誌『an・an』2006年3月1日号 の特集「頭(センス)のいい女」で、豊崎由美さんにより鈴木いづみが紹介されました。

常に120%で生きる

「普通どんなにバリバリ働いている人でも、家ではジャージーを着てまったりする、という瞬間があるけれど、たぶん彼女にはそんなことはなく、常に120%の力で生きていたんだと思う。
正直なかなか真似はできないけれど、生き方が過激で、カッコいい。長さではなく速度、そんな人生もあるんだ、と思わせてくれます」



日本経済新聞2005年05月15日(日)朝刊の高橋源一郎さんによるコラム「半歩遅れの読書術」『鈴木いづみコレクション』などの鈴木いづみ作品についての書評が掲載されました。

SF作家 鈴木いづみ 70年代に現代先取り

今回、一から読み直してみると、どう考えても、鈴木いづみは、ただ「七〇年代を体現」したのではなく、「SF作家として七〇年代を体現」した作家なのだった。
いや「早すぎたSF作家」とか「全身SF作家」と呼ばれるべき存在であることに、遅ればせながら気づいたのである。
……彼女の小説は、われわれがSF的世界の住人になっていることを、ずっと前から告げ知らせていたのである。


2005/8/1
SFマガジン2005年8月号に、SFセミナー2005(5月3日開催)の企画『鈴木いづみRETURNS』のレポートが掲載されました。

『鈴木いづみRETURNS』

出演 大森望、高橋源一郎、森奈津子

主な発言要旨

「鈴木いづみは日本を代表するSF作家。
僕にとってのSFにおける重要度はディックとスタージョンに並ぶ、と言ってもいい」
「SFという場が彼女にとっての避難所・遊び場になっているのでは」
「カッティングエッジな部分がずっと鈍らない。今読んでも生々しさを持っていて、痛々しさとふてぶてしさが同居しているような感じが古びないところ」(大森望)

「彼女が活躍した当時は普通小説しか読んでいなかったが、文遊社の選集に解説を書くことになって彼女のSF作品を初めて読んだときに、もうちょっとキチンと読んでおくべきだった、と反省した。すごく面白かった」
「彼女はSFのほうが書きやすそうにしている」
「まるでヘタな翻訳文のような文章が効果的で、六〇・七〇年代の音楽、ファッション・アイテムも彼女が書くとパラレルワールドの変なモノのように見え、現実感が全くない。普通に僕等が生活してきたものを使って書いてもSFになってしまう」
「文学史を読んでも鈴木いづみのページはない。
大体派手なファッションというだけで純文学ではないと当時は言われ、文学の世界では正当に評価されなかった」
「鈴木いづみを一言で言うと『早すぎた八〇年代作家』。
七〇年代中盤に登場した作家とも重なるし、八〇年代前半に登場した作家たちの作品も先取りしている。それぞれの要素がみんなあった」
「彼女のいいところと欠点は何にでも似てしまうところ。
彼女が何かに似せているのではなく。自分の興味に従って書いているものが、たまたまその時代の先端的な空気と次々に合ってしまう」
「今の時点で読み返すと七〇・八〇年代的なものや女性と性の問題など、何でも入っているが、それはある種天才的な資質、僥倖だと思う。
同じものを扱っても他の作家と違い、現実感のない作風のせいで当時の感覚が全部冷凍保存されている。全然古びていないし今読むと逆にSF的で面白い。
そんな書き方ができる作家は他にいない。ある意味先駆者だが、後継者がいない」(高橋源一郎)

「短編の『夜のピクニック』『歩く人』がとても好きです」
「フェミニズムに結びつけられて語られる方だが、彼女の作品はお勉強して得た思想ではなく、もっと自分の内から沸き上がってきたものという感じがあり、ああ天才なんだなあと思った」(森奈津子)

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静岡新聞2005年03月20日(日)朝刊の読書欄に、大森望さんによる『鈴木いづみセカンド・コレクション 全4巻』の書評が掲載されました。


神戸新聞2月27日(日)、京都新聞3月6日(日)朝刊の読書欄に、大森望さんによる『鈴木いづみセカンド・コレクション2 SF集2 ぜったい退屈』、『鈴木いづみセカンド・コレクション4 エッセイ集2 ギンギン』の書評が掲載されました。

(……)彼女の残した作品群の特異な輝きは今も色褪せない。
この第二集で初めて単行本化された遺作のSF短編「ぜったい退屈」など、むしろ今のほうがよく理解できるかも。
最終巻の「ギンギン」には、SFに関する単行本初収録のエッセー群も収められているのでお見逃しなく。

ミュージック・マガジン2005年3月号に、『鈴木いづみセカンド・コレクション4 エッセイ集2 ギンギン』の書評が掲載されました。

(……)SFやGSについてのエッセイ、大瀧詠一、山崎春美、所ジョージらとの対談を収めたもので、あけっぴろげな文体の中に鋭い指摘が多数。

松岡正剛の千夜千冊 第九百四十三夜『鈴木いづみコレクション』(全8巻)
 おそらく鈴木いづみは、すべての女の文芸と女のマン
ガの先鞭をつけたのである。
 いづみ以前、少女マンガはたいしたものがなかった。
いづみも少女マンガなんて気が抜けたシャンパンか、指
を突っ込んで顔を破りたいぬり絵と思っていた。とくに
女の文学にはまったくキャンプなものがなかった(キャ
ンプについては第695夜参照)。キャンプがなかった
らパンクもありえないし、アヴァンポップもありえない。

書評 an・an 2004/6/23日号
評者・豊崎由美さん
'70年代のサイケデリック・クイーン再来。
言葉の奔流に、彼女の速度を体感する。

普遍的に流れる時間への違和感、生の淵を覗きこむ恍惚と不安、親に代表される大人たちへの嫌悪感。
鈴木いづみの作品に通底するこれらのテーマは、時代を超えて若い魂を狙い撃つ。(抜粋)


『鈴木いづみセカンド・コレクション2 SF集 ぜったい退屈』書評
朝日新聞朝刊(2004年3月28日) 評者/三浦しをんさん
愛を求めてSFの旅 さすらう無気力な若者たち
作中に漂う力強い諦念と、プラスチックみたいな透明な明るさが、切実で美しい。(抜粋)


『an・an 』(2004/6/23日号)


『朝日新聞朝刊』(2004年3月28日号)


『ViVi』(2001/5月号) 


『ダ・ヴィンチ』(2001/5月号)